保元の乱について解説します。
■参考資料
源平合戦への序章「保元の乱」を源平マニアが5分でわかりやすく解説!
https://study-z.net/7377#:~:text=%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82-,%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3%E6%9C%AB%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%83%85%E5%8B%A2,-image%20by%20PIXTA
「保元の乱(1156年)」武士が活躍!朝廷内の混乱が軍事衝突へ
https://sengoku-his.com/1159#:~:text=%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82-,%E6%91%82%E9%96%A2%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%86%85%E7%B4%9B,-%E6%91%82%E9%96%A2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB
保元の乱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%85%83%E3%81%AE%E4%B9%B1#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%80%A3%E3%81%AE%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%8B%85%E5%91%BD%E3%83%BB%E7%B6%B8%E6%97%A8%E3%81%8C%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%80%81%E5%AE%9F%E9%9A%9B%E3%81%AB%E8%83%8C%E5%BE%8C%E3%81%A7%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E4%BB%95%E5%88%87%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%81%B4%E8%BF%91%E3%81%AE%E4%BF%A1%E8%A5%BF%E3%81%A8%E6%8E%A8%E6%B8%AC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%5B%E6%B3%A8%E9%87%88%209%5D%E3%80%82%E3%81%93%E3%81%AE%E5%89%8D%E5%BE%8C%E3%81%AB%E5%BF%A0%E5%AE%9F%E3%83%BB%E9%A0%BC%E9%95%B7%E3%81%8C%E4%BD%95%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%9F%E6%A7%98%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%81%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%8B%95%E5%93%A1%E3%81%AB%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%97%E3%81%A6%E5%9C%A7%E5%80%92%E7%9A%84%E5%84%AA%E4%BD%8D%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%BE%8C%E7%99%BD%E6%B2%B3%E3%83%BB%E5%AE%88%E4%BB%81%E9%99%A3%E5%96%B6%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E6%8C%91%E7%99%BA%E3%82%92%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82%E5%BF%A0%E5%AE%9F%E3%83%BB%E9%A0%BC%E9%95%B7%E3%81%AF%E8%BF%BD%E3%81%84%E8%A9%B0%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%80%81%E3%82%82%E3%81%AF%E3%82%84%E5%85%B5%E3%82%92%E6%8C%99%E3%81%92%E3%81%A6%E5%B1%80%E9%9D%A2%E3%82%92%E6%89%93%E9%96%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%A5%E5%A4%96%E3%81%AB%E9%81%93%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82
武士
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
武家政権
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E6%94%BF%E6%A8%A9
武士の興り 〜もののふ第0世代、爆誕!〜【COTEN RADIO #186】
院政
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E6%94%BF
北面武士
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%9D%A2%E6%AD%A6%E5%A3%AB
平家にあらずんば人にあらず!皇位継承権をめぐる平氏と天皇家の綱渡りなカンケイ【COTEN RADIO #280】
✅BGM
夜路:http://oto-no-sono.com
31件のコメント
日本史で度々起こる、現場のプロの意見を無視して素人が介入し全てが崩壊するパターンやな。
後白河天皇は崇徳上皇の同母弟だった記憶がある。
4:42 他の方も指摘していますが、崇徳と後白河の母親は共に藤原璋子です。崇徳が白河院の息子だったとしても後白河とは少なくとも血を分けた兄弟なのです。
考える事が一緒の場合、決断する上の判断が勝敗を分ける。
藤原氏の衰えもあるのでしょうね。
崇徳上皇と鳥羽法皇との関係は小学生の歴ヲタにはなんでこんなに嫌うのか理解に苦しんだが
大人になって親子じゃないと言うことで全て上手く納得出来た
清盛後白河法皇を含めた3人は白河法皇のご落胤説を当てはめれば全て納得出来るのよね
頼長は決して無能な人物では無かったし寧ろ辣腕寄りなのだがなまじ才覚を持っていたが故にその道に長けた人間の提案を容れられなかったのが運の尽きだったのだろうな。
※すべて悪左府の責任です
保元の乱、平治の乱の結果、台頭したのが平家だった訳で、源氏好きの諸君からは無視されたんだろうな。
実は、崇徳院は鳥羽院の御子ではなく白河院の御子
動画をありがとうございます。どう武士が台頭してきたかは抽象的に習った気がしますが,こういう歴史だったと知って面白かったです。😀
藤原氏、権力を失っても藤原氏が滅んで無いから氏族として優秀。
昔の天皇は、タネを撒き放題だけど近代はそうは行かないなくて
後継者確保は、難儀、
後白河院こそ日本史上最大の人物
大河5回分ぐらい濃い人生を歩んだ
中世の巨人。日本人には扱えないから海外の巨匠が作品化して欲しい
非常に素晴らしい天皇であり
政治家であり統治者だった。
続きますよね?(強要
為義が"嫡流"とされたのは後に頼朝が鎌倉政権開いたからだもんなぁ。当時無官だったでしょ
しかも九州で暴れまくった為朝のことで為義は解官くらってるし、その当の本人為朝に献策されたとて果たして聞くものだろうか・・・
ただの用心棒くらいにしか思われてなかったんでないの?
崇徳上皇側が勝利していた場合歴史はどうなっていたのかが以前から気になる。
いわゆる「歴史のif」でもあまり考察されていないので。
史実では一度も実権を握ったことが無い崇徳上皇の為政者としての手腕はどのくらいだったのか。
のち湊川の戦いでも繰り返す
今の状況とよく似てますね。
でも、戊辰戦争の長州軍の指揮官は医者だからね。素人がやった時が上手く行く事もある。まあレアなケースだけどね。
卑怯な作戦を嫌って正々堂々と勝負しようとした、と言えば立派ではあったんでしょうけれど、これから野蛮人が台頭してゆく時代にはそぐわなかったわけですね……。
崇徳天皇が哀れな話
貴族は自ら貴族が中心の世を捨ててしまった
貴族は貴族、武士は武士という形で、貴族が武力を持たなかったことが武士の世を呼び寄せた
白峯
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
われても末に 逢わむとぞ思ふ
藤原道長の時代から続いた藤原摂関家による摂関政治から院政へ
そして、保元の乱や平治の乱がきっかけで平氏政権から始まる武士の世へと流れていく・・・
まさにターニングポイントですね。
保元の乱はもっと取り上げられてもいいと思う。
Big Mon IN に空耳するたびに 笑ってしまう
保元の乱の足音を出したのは、後三条天皇の即位からだと思う。
後三条天皇の政策によって、摂関政治の脱却を成功したからです。
しかし、白河上皇の政策によって歪な構造になり、崇徳上皇と「今様」を世に知らせた後白河天皇(後の後白河法皇)との対立になってしまい、平氏と源氏が分裂同然の乱を起こしました。😮
日本の場合、トップをお飾りにしてしまう
天皇をお飾りに
太政大臣をおがざりにし
公家をお飾りにし
将軍をお飾りにし
執権をお飾りにし
うーん、崇徳・頼長陣営に勝ち目があったかなぁ。
為朝らの進言を受け入れていたとしても勝ち目は無かったんじゃないか。
現代でも崇徳上皇を題材にした小説は多い。
御霊神社に祀られるだけのことはある凄まじい怨霊。
ちょっと本筋から離れるのですが、後白河法皇の後ろ楯だった美福門院が玉藻前のモデルになってる原因はどうしてなのでしょう?